tohokuaikiのチラシの裏

技術的ネタとか。

定着が無い。だから、あなたのディレクションするホームページの制作は迷走する。

広告代理店のクリエイティブをやってる人のブログのエントリ
定着のイメージを持たないコミュニケーション・デザインの気持ち悪さ: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
を読んでいて、「定着」っていう言葉にかなり反応してしまった。*1

定着っていうのは、広告を例にすると、プランなりアイデアなりがあって、それが頭の中とか企画書とかにある状態だと、その時点では広告にはなっていないですよね。そのプランなりアイデアなりを、具体的な言葉や絵にして、テレビなり新聞なりに定着して、はじめて広告になりますよね。その具体的な表現のことを定着って言います。

この定着って作業は、イラストを実際に描いたりプログラムを作ったりする末端制作者においては誰だって無意識のうちにやっていて、それが無いと「何やっていいか分からない」って言うだろう。

でも、定着できたって、即仕事ができるワケではないよ。

ただ、末端制作者はクライアントからいきなり「これやりたいんだけど」って言われるよりも、そこに交渉術や分析術にすぐれたディレクターが入り「このクライアントは本当は何がやりたいのか。そのためにもっともお金をかけず早くできる効率のいい方法は」というのを探るわけ。

そうでないと、末端制作者は実現方法を知っているだけに、「あれもやって、これもやって」と思惑が発散しかねない。そこの道筋をディレクターに付けてもらい、本当に必要なものだけ実装する。それが現実の社会において理想仕事的な制作過程だと思う。

絵にするとこんな感じ。

理想のディレクション
理想のディレクション posted by (C)ITOH Takashi

定着物は、3者三様であるべきだ

ここで、3者の定着物は変わっているはずだし、そうでなければならない。クライアントはあくまで自分が「やりたいこと」を明確にすべきで、それ以外の細かい実装には無頓着であるべきだし、ディレクターはその「やりたいこと」をするためには運用面からどのような全体像を描くかというのが使命であるべきだ。

そして、末端制作者は「どう実装するか」に心血をそそぐ。

これらの3者の定着がはっきりして、お互いに自分の定着を見せながら仕事を進める。こうすると、最終的に出来上がったものの精度は非常に高くなるだろう。

ただし、定着物は3者の間で可視化され伝わらなければならない

この時重要なのは、「いかに自分の定着を見せるか」であると思う。日

その時の表現方法として、我々末端制作者は実装物そのものを見せられるという利点がある。それは表現屋ならではの強みだ。プログラムでモックアップを作るもよし、イラレで簡単な図やイラストを描くもよし。

しかし、ここで問題なのがディレクターになる。彼らは直接の制作者ではないからどうやって自分の定着を見せるか。

私はそれはMicrosoftのOffice製品が現状ではベストだと思う。なぜなら、クライアントがそれを持っていて、自分の定着をOfficeで作ればとりあえず見てもらえるから。

もちろん、末端制作者上がりのディレクターであれば自分で簡単な絵やモックプログラムを作ることもできるだろう。だから私は製作者上がりのディレクターは強いと思っている。


理想的なディレクターの場合の話はここまで

さて、この「定着」という作業ができてないディレクターの場合。定着ができてないのだから、MicrosoftのOfficeなどによる定着物が出てくるわけもない。いきおい、末端制作者への指示は「口頭で」ということになり、それは自分がディレクターとして何を定着させなければいけないかということも含めての丸投げになる。

そこに、仕事と呼べるものはない。むしろ、直接のクライアントとあっていない末端制作者にとって、クライアントは、太刀打ちできないUnreachableな相手となり、もはや霞がかったものとなる。


そして、我々が提案ベースから定着を起こす。いや、それすら出来ない末端制作者は多いだろう。見よ!そんな彼らは何度となく「やり直し」という非常なディレクターの指示と共に寝食を忘れることとなる。そこに至って、共闘者であるべきディレクターと末端制作者は互いに反目しあうことになるのだ・・・・。


この残念な現実はを絵にするとこんな感じだろう。


残念な現実 posted by (C)ITOH Takashi

声を上げろ。直接言え、末端制作者達よ。

本当は、そこで我々末端制作者としては声を上げるべきなのだ。

「何をやっていいか分かりません。これでは仕事ができません」と。



 だが、我々はいつも惑わされる。電話の向こうで「これで作ってください」と言うディレクターの姿に。

 「これ断ったら仕事無くなるかな・・」という自信の無い内なる自分の声に。

 あるいは彼が昼夜仕事してようやく得た、たった一枚のクライアントの仕様書に。

 私たちは、判断を間違える。



だが、そこで声を上げないと、いつまでたっても状況は改善されない。



 クライアントにいわれたことしか伝えられないディレクターは三流。

 いわれたことを定着でき、伝えられるようになって、ようやく二流。

 あなたを惑わすディレクターはいったいいつになったら一流になるんだ?

 ・・・・いつになったって、一流なんかにはなれっこないじゃないか。

そして、気づいてくれ。ディレクターと呼ばれる人たち

末端制作者に「何やっていいか分からない」って言わせたらそれは指示を出した人(たいていはディレクターと呼ばれる人たち)の負けで、その瞬間にディレクターは大いに反省すべきであると思う。もちろん、経験のない末端制作者はそれだけ定着能力が低いわけで、「誰を使うか」の見極めもディレクターには課せられるわけで。


「あいつ、使えねー」とか言う前に使える人間を探せってことで。


それを言うことは、定着できないにせよ、人をアサインできないにせよ、自分の能力が無いことをさらけ出しているのだから。

*1:最初、このエントリを引用して・・・とか考えてたけど、ほとんど全文にわたって深く頷いてしまい、エントリとして収拾がつかなさそうなのでやめた。