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tohokuaikiのチラシの裏

技術的ネタとか。

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幸せってなんだっけ?と考えて、恣意的な幸せ度グラフを作ってみたテスト

death


ポン酢しょうゆのある家さ・・・というのが、昔のCMであったけど、あながちそれは間違いではないという気がしてきた今日のこの頃です。


幸せっていうのは、相対的に量れるものだから

幸せっていうのは、自分の中で「あることができない・為し得ない状態」から、「できる・得られる状態」になった際に感じるものだろう。

最初から何でもできる人が、幸せなんじゃなくって、成長曲線を実感できる人が幸せなんだ。

そこで、社会の成長性と関連づけてみる

んで、これはすごく歪曲した感じだけど、幸せ感=手に入れられたものの差分としてグラフ化してみた。

社会全体が成長すれば、手に入れられるものは前年と比べて増えるはずなので、手に入れられるもの=前年に手に入れられたもの×社会の成長率とした。

つまり、社会の成長率が10%の場合は、

手に入れたもの 幸せ実感値
3 1.00 1
4 1.10 10.00
5 1.21 11.00
6 1.33 12.10
7 1.46 13.31
8 1.61 14.64
9 1.77 16.11
10 1.95 17.72
11 2.14 19.49
12 2.36 21.44
13 2.59 23.58
30 13.11 119.18

となる。グラフ化しやすいように幸せ実感地は、100倍してある。横軸は年齢です。

で、この成長率が10%の場合の、簡単に言うと団塊世代が感じてきた幸せ実感値グラフはこんな感じ

手に入れられたものの絶対値は小さいんだけど、幸せ実感値の上がり方はすごい。ものすごいドライブ感。これが社会全体が成長しているときに感じるものなんだろう。

社会が成熟してしまって、最初から手に入るものは多いけど成長率が低い場合

つまり、まぁ、なんだその。簡単に言うと、団塊Jr.が感じたであろう幸せ実感値とはこういう感じ。

手に入れたもの値のスタートは、団塊の33歳時のそれと同じにしてある。つまり、団塊が30歳で団塊Jr.を産んだという仮定。

社会の成長率が1%だと、こんな感じ。

手に入れたもの 幸せ実感値
3 13.51 1
4 13.64 13.51
5 13.78 13.64
6 13.92 13.78
7 14.06 13.92
8 14.20 14.06
9 14.34 14.20
10 14.48 14.34
11 14.63 14.48
12 14.77 14.63
30 17.67 17.50

前回同様グラフ化しやすいように幸せ実感値は、100倍してある。横軸は年齢です。


今は努力しないと幸せを感じられず、昔は社会の成長性に任せていれば幸せだった

ものがあるから幸せかっていうと、そうではなくて、手に入れられるもの自体は団塊世代よりよっぽど多いのに、そこから得られる幸福感とかは全く低い。そりゃ、個人の資質で「昔は英語喋れなかったのに、いまはペラペラで楽しい!」とか努力で幸せ実感値が上がる人はいっぱいいるだろうけど、昔は社会の成長性に任せていれば幸せが感じられたんだろう。

それは、不公平だな。この不公平感は単に生まれてくる時代が違ったっていうだけの話。


自分が思うのは、世代とかにあまり個人的な資質の差っていうのは無いと思っていて、たとえば今の団塊Jr.世代がそっくりそのまま高度成長期に30歳だったら同じことをできただろうし、田中角栄にかわる誰かが出ただろうし、長嶋茂雄に代わる誰かが居ただろう。

なのに、単に時代と環境がそうだったっていうだけなのに、「俺たちのころはな、死に物狂いで頑張って高度成長を為したんだ。おまえらは努力が足らん」とか言外に匂わす団塊は本当に軽蔑の対象である。

ただ、このグラフの何が恣意的かっていうと

このグラフ、団塊世代を30歳で切ってるけど、30歳で社会成長率が1%になったら当然巻き添え食ってこんな感じになるんだよね。

ただ、こんなのは認めたくないので、もし未来から借金を行って自分たちの幸福感を維持できたとしたら・・・・・・。

じゃあ、どうしろかっていうと

単に、そういう「時代がそうであって、人間としての資質は今も昔も変わらない」という認識を世代を超えてひとつに共有して、世代間で憎しみ合うのではなく、共闘たいなと。その認識が共通なら、お互いが世代を超えて分かりあえるはず。ニートが問題になったのは、個人の資質じゃない、昔からニートはいたけど問題化しなかっただけだ。

というのをこの記事は存在しないか、すでに削除されています。を読んで考えました。

昔は、ポン酢しょうゆっていうのが全世帯になかったから、それがあって「あぁ、これがあれば鍋とかおいしいよね」って感じられたのは、ポン酢しょうゆが無かったから感じられるのさ!