tohokuaikiのチラシの裏

技術的ネタとか。

絵画(というか、芸術と呼ばれるもの一般)は、プロレスと似ているなと思った

昨日、新国立美術館でやってるモディリアニ展を見てきた。

妻が招待券を貰っていったのだけど、うーん、うーん。絵画ってよくわからんなー。

想像だけど、絵自体を見て、本当に「うわー、この絵を見て生涯ものの感動だー」とか言ってる人ってやっぱりそんなに多くなくって。
そりゃ、150点もあるモディリアニの絵を見ていちいち腰抜かしてたら間に合わないもんね。


それより、こういう現代芸術って昔からの流れの中で成立しているからその「流れ」を知らないと楽しめないんじゃないかな。写実な絵が良しとされた時代を超えて、色んな表現方法が試されて、いろんな人が「これはいい」「これはダメ」という多様性のなかでの最大公約数的なものが現代芸術で価値のあるものとされたということで。


そういう意味では、プロレスと似ているなーっていう感じ。あれだって、様々なプロレス団体の歴史とかプロレスラーの因縁とかがあって面白く見られるわけだし。単純に技を見ているわけじゃないでしょ。(で、そりゃおかしい!っていうんで、最近のバーリトゥード時代があって「本当に強いのは何だ!?・・・」という流れになってきているわけで)


だからね、多分勉強しないとわかんない。


じゃ、そんなにみんな勉強してるのかっていうと、してる人は多いんだと思う。芸大くずれっていうと表現が悪いけど、昔志しましたっていう人はプロレスより全然多くって、結果として莫大な絵画マーケットを生み出しているような気がする。


あとは歴史だよね。プロレスの場合はレスラー生命しか芸術の耐用期間がもたないけど、芸術は残るからなー。モノとして継続されやすい。そりゃ、文楽とか歌舞伎みたいに300年続けばプロレスもどうなるかわからんね。猪木とか馬場とかが300年後には千利休とか世阿弥みたいな扱いになってたら面白いな。

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しかし、なんか見ている人たちは全員が無言で静かなんだね。

なんつーか、友達とかと一緒に来ている人がほとんどなので、「これは○○○だよねー」とか言いながら見ればいいのに。なんかそういう雰囲気が無いんだな。堅苦しい。

前に20世紀の写真展とか(詳細忘れた。報道写真でその瞬間!みたいな展示会)を見に行った時はみんな色々言いながら見てたのと対称的。なんつーか、思ったことを相手とやり取りしながら言えばいいのに、なんか「変なこと言って、外すと恥ずかしい!」みたいな感じ。

私だけ、3歳の息子と「これは幼稚園の○○先生みたいだね〜」と言いつつ回ってました。