tohokuaikiのチラシの裏

技術的ネタとか。

画家とは、芸術家とは何かを考える。

画家とか芸術家とは、何をもって満足となすのかがさっぱりわからない。

自分の中の基準値なのか、他人からの評価に依るものなのか。その割合は我々と変わらないんだろうか。

ゴッホゴーギャンは偉大な画家なのだ(とされている)が、彼らは満足な生涯だったのかというとそうではないだろう。

ゴッホの晩年の絵なんか、統合失調症を煩っているようにしか見えないし。

それでも絵を描く人は

ゴッホゴーギャンみたいになりたいと、自分の死後に評価されるかもっていう期待を少しでも抱きながら描いているんだろか。

私には理解できない。死んだ後に評価されてもわからないじゃん。

そして、生前評価があった画家は「自分の死後に評価されない時代がくるのか」とおびえているんだろうか。アントニオ・サリエリのように・・・・。


ただ、生活を忘れて何かに熱中するというのはうらやましい話である。

が、これもニート同様「働いていず、評価もされない自分」というものにものすごい呵責感を抱きながら取り組んでいる人がほとんどだろう。

私には理解できない。

絵を買うということは

なので、その絵を買うということは、その画家の人生を買っていることになるんだろう。もちろん、他人の時間は買えないけど、それを賭して得たResultとしての絵なのだから。

絵を買うのは、その画家の生い立ちや生活への思想などのバックグラウンドも含めて買っているんじゃないかと思った。