財前五郎の「能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。 」ではないけど、なんらかの仕事ができてそれが自分だけではなく他の人にも分け与えられることができる能力を持っている者。
それは経営というそんな俯瞰的なものの見方ではなく、自分以外の食いぶちを稼げ、次代を教育できる者。
ニート論や雇用問題をグダグダ論ずる人は、一人でも救っているのか?
そういう人は、積極的に雇用をするべきであると思う。
雇用以外にも、ブログで説法をしたり専門学校でモノを教えたり・・・・と生きる術を伝える方法はいくらでもあると思う。
しかし、それらは「直接、その人(Employee)にもの(ようはお金であり、稼げるという実感)を与えている」わけではない。机上の空論。絵に描いた餅。・・・に感じる。
それは、自分の物事の考え方が「ゴタクを並べる前に手を動かして、モノを出せ」というところに依っているからかもしれないが。
で、第一歩になる採用活動は、面接
普通に企業が採用活動をしようと思うと、
- 知人のコネ
- 人材募集系の媒体に掲載
という順になるんだけど、前者はまぁ難しい。ほとんどはリクルートなんかで行う。
まぁ、そうすると、沢山応募があったりして面接を行う人を絞り込むだけでも大変だったりするわけです。正直、応募要項だけを見て決めるのはすごく難しいんだけど、全員を面接するわけにはいかないから。
応募についてだけでも、本当は返事を書きたい。
そんな、応募の(紙面上での要項だけでの)不採用の通知についても、
- なんで、あなたを応募要項だけで不採用にしたか
- こういうところを気をつければ、面接まではこぎつけられたのに・・・
と付けて通知したいのだけど、それもできない。書く時間が無いんです。
アルファブロガーが全部のコメントに返信できないのと同様ですね。
だいたい、簡単に応募できるようになって、「もしかしたらこの人は検索して当たった企業を上から順番に申し込んでるんじゃないか?」っていう人もいっぱいいますし。
というわけで、心ならずも「一括でごめんなさいテンプレートメール送信」ということになっているのです。
これは、本当に心が痛い。前の会社で採用を経験した時から変わらないです。
面接でも、本当は「ここがダメです。こうしたら?」って言いたい
何人か面接してると、だいたい当選確実な人が出てくるので、ある意味半分の人数を過ぎると「あぁ、この人は落とさざるを得ないな」って既に面接してる間にわかってくる。採れる人数は決まってるから、仕方がない。
その人は、若くて素直な青年で、「あぁ、一緒に仕事したら楽しくできて、技術も吸収していくだろうな」って思っても、それ以上の人がいれば泣く泣く落とさざるを得ない。
個人の思いとしては、人を育てて一人前に自分の食いぶちは自分で稼げるようになってくれるのが嬉しい・・・・けど、会社にはその会社のキャパシティというものがある。そのキャパシティと理想の境界線上でやっていくしかない。
だから、面接で「ダメだ、採用できない」って思ったら「いま、多分うちでは雇えない。だけど、こうしたらいいんじゃないか?」って言いたい。
だけど、面と向かって「うちでは雇えない」とはその場で言いにくいし、人によってはその場でキレたりされたらカナワン。
駄菓子菓子・・・・。そう言うことで、その人の成長になってくれれば。その人が「あぁ、自分は本当はこういうことをしたいんだ」って気づいてくれれば、それはそれで社会としての責務を少しは果たしているのかなっていう気になります。
何でこんなこと書いてるかというと・・・
・・・・今日、初めて面接中に「君は、不採用です。だけど、Webデザイナーになるにはこうしたらいいよね」と話をしました。その子は、やや泣きそうになってたけど、帰宅してから「ありがとうございました」ってメールをくれて、少しかなり救われた気分です。
ところで、学歴って
Web制作という仕事をしているからか、全く気にならないね。そんなじぶんにちょっとびっくりしたり。